electrical parade

w/shota murakami, miho aoki

*電柱影

 Googleマップの衛星画像は、私たちの至近距離にまで迫っている。50cm平方まで拡大できるようになった現在、都市を真上から眺め、道路と家とビルと人間を同じ平面の上に並べることが日常的な経験になった。都市を見る方法は、もはやアイレベルだけのものではない。視点の移動により、これまで地上で成立していた見える/見えない都市の秩序に、奇妙なずれを生じさせる。 

 例えば東京のとある住宅地の道路に、実態を持たない大きな帯状の影がある。なんだ、と声を漏らしそうになる。この正体は電柱である。地上では直径数十センチの一本の柱にすぎないものが、上空から見れば道路を横断し、住宅の屋根を切り、街区を分断する巨大な線として現れる。電柱とは何者か。電柱から都市を読み解くことは可能か。

*電気、あるいは世界

 都市を都市たらしむ活動のほとんどが、電気の流れに接続されている。パンデミックがそうであったように、停電という現象もまた、我々がひとつの世界で繋がっているということを裏付けるネガティブな証拠である。電線を流れる電気は電柱に支えられ、送電塔、変電所、発電所へと誘われる。私たちが生活のなかで見ることができるのは、それを運ぶためにつくられた物質的な痕跡としての電柱だ。

 作家のポール・B・プレシアドが言うように、情報化された社会においては、ツールによって刺激がダイレクトに飛び込んでくる。テクノロジーは、電気を媒介として社会と身体をひとつの回路へと編み込み、世界をサイバネティックに接続していく。情報が受肉化するのもそう遠くない未来だ。
 また、電柱はマップに強烈な影を落としながら、地球最大規模の光としても君臨する。地球がキラキラと光る電気の網目に覆われた巨大なオーナメントのようであるのは、太陽から光を切り離し、人間の手元に引き寄せたからである。いまやスイッチひとつで都市の隅々にまで配される光によって、私たちはいくらでも涙を流すことができる。

 だから電気は都市から夜を奪った。夜空から星が消えていくにつれ、地上には新しい星が増えていく。電柱のグリッドは、はまるで都市の星座だ。私たちは図らずも、夜空を地上に奪還したのである。

*東京電柱現在

 電柱は、都市の先端を喰らうようにして、電気の網目を広げている。日本には現在約3600万本の電柱がある。これは世界に類を見ない数だ。ヨーロッパ諸都市は、電力供給が始まった時点ですでに都市の形態が成熟していた。それに対し、東京は都市の成熟が電気の分配と同時期であった。そのため、電柱はつねに都市そのものに肉薄する。明治11年に電柱の建立が始まって以来、戦後日本の経済成長で安定した電気の提供が必要不可欠だったころから、現在の情報化社会に至るまでの全てを、電柱が支えている。はじめは仮設的なものとされたものが、今でも飄々と佇んでいる。今は拡大してはいるものの、いずれ東京は少しずつ小さくなるという予見がある。電柱はいずれ、伸縮する都市に向き合わなければならない。

 電柱は、街区によって分断されたグリッドを再び繋ぐ役割を果たす。電柱によく似た電信柱は、電柱より低く、通信のケーブルが通っている。電気と通信という異なる系統は、常に道路の左右に分かれて秩序ばった柱列を形成し、ときに一本の柱へ共架されながら、切り分けられた都市の上空を縫合しており、空にはいつも中くらいのZマークが浮かんでいる。

 ただ、ロンドンやパリにZは存在しない。なぜなら、都市の形態があった後に配電されたため、戦前から無電柱化が100%を達成しているからだ。他方、東京23区の無電柱化率は8%である。マンハッタンで架空電線による感電死事故が続発していた最中、日本は被覆する技術を磨いたことで、不幸を避けることに成功した。その結果、電柱をアノニマスな日本の都市景観の部分として深く内面化させることとなった。水道やガス地下鉄といった他のライフラインが次々と地下の暗渠へと隠蔽され、都市がその物質性を失っていく中で、極めて仮想的で非物質的な電気だけが地上を這い回り、その強烈なフィジカリティを曝け出し続けている。かつて大正期の岩手に電柱が立ち並び始めたのを目撃した宮沢賢治は、童話『月夜のでんしんばしら』において、それらを行進しながら軍歌をうたうユーモラスな生命体として描いた。彼が幻視した、無機質なコンクリートの円筒が放つ異様な生気は、今なお東京の路上に息づいている。今にも動き出しそうな所で、電柱はいつもぐっと堪えているようにも見える。

*「無電柱化」とは何か 

 1986年に都が最初の電線類地中化計画を立ち上げて以来、行政は①都市防災機能の強化②安全で快適な歩行空間の確保③良好な都市景観の創出という三つの目的を掲げ、駆逐を試み続けてきた。2017年には都道府県で初となる「東京都無電柱化推進条例」によって都道全線での電柱新設を原則として禁止するに至る。(都道が東京の何割を占めるか知っているだろうか?正解は2割未満だ。)

 防災の観点では議論が起こる。電柱が住宅地に乱立すると、災害時のリスクが高まるのは当然避けられるべきだ。しかし、電柱は地震だけで倒れているわけではない。地崩れや家の倒壊、引き込み線に引っ張られて傾いた二次被害、もらい事故が多いのが事実だ。さらに、地中化すれば被害がなくなるわけではない上、復旧の作業は架空電線よりも二倍時間がかかる。

 また、景観汚染を払拭する計画には、決定的な不可能性が座礁する。都が管理する大通りの無電柱化率が約5割に達しようとも、大部分を担う市区町村道に目を向ければ、その無電柱化率はわずか2%に過ぎない。また、都内の道路延長の90%を占める区市町村道において、歩道幅員が2.5メートルに満たない、あるいは歩道すら存在しない狭あいな生活道路が、市区町村道全体の実に94%を占めている。行政が依存する電線共同溝方式は、本質的に幅員に余裕のある大通りにしか適応されず、地上に巨大な変圧器を設置するこの手法は、そもそも歩道幅が2.5メートルに満たない細街路において物理的な道路閉塞を意味する。結果、歩道は塞がり、車椅子やベビーカーを阻害してしまう。景観のバリアフリー化が、身体のバリアフリーを殺すという皮肉が発生する。

 さらに、地下にはすでに水道管、ガス管、下水道がカオスなスパゲティのように輻輳している。そこに無理やり新たな電線共同溝をねじ込もうとすれば、待っているのは天文学的なコストと時間だ。国交省が試算する1キロメートルあたり5.3億円という標準整備コストは、台東区の細街路においては、1キロメートルあたり約13億円にまで跳ね上がる。わずか300メートルの整備を完了するまでに11年という歳月を要求されることになる。もはや、動的な肉体である東京に追いつくことは難しい。 私たちは、建築の耐年数がまだらに同居する都市において、インフラだけを同時に一括リセットできるという幻想を捨てなければならない。

*都市のポリリズム

 以上より、私たちの視線はダウンタウンの大通りから大都市の生々しい肌理へと向かう必要がある。

 今回敷地に選定したのは、台東三丁目から小島一丁目、鳥越一丁目にかけての一帯である。上野駅の南東に位置するこの街は、都市の更新を議論するべき不調和が揃っている。墨田区・京島、台東区・谷中あたりも同様に無電柱化が困難な地域として挙げられるが、本エリアは主要駅からほど近く、幹線道路沿いに高層の集合住宅や業務ビルが立ち並ぶ巨大なハブに隣接し、今後も景観が大きく変わる可能性を引き受けている点に特徴付けられる。

 ここは江戸の武家地と町人地の混在に端を発する。近代以降は職人の居住空間のなかに町工場が貫入するほか、町工場で家族総出で忙しい人々のためのおかず横丁、地域に密着する佐竹商店街など、土着的な生産が盛んに行われている。一部は戦災による焼失を免れ、現在の街路には、関東大震災後の復興事業によって再編された約100年前の地割を骨格として残す場所もある。  

 しかし現在、交通利便性を背景に、近年の集合住宅の建築戸数が台東区内で最も多くなるという激しい高度開発の嵐のなかに置かれている。 幹線道路沿いから空き地が消滅し、中高層の共同住宅への更新が区内最速のスピードで押し寄せる一方で、歩道幅員が2.5mほどの生活街路で溢れている。その奥深くには、東京都の地域危険度測定調査で建物倒壊危険度最高ランクであるランク5に指定される老朽木造家屋や工房が今なお頑強に併存している。

 このように、新旧の建物が併存し、異なる時間・高さ・構造を紡ぐ手段の模索は、災害に備える上でも都市更新の最大の課題である。都市は、古いから新しいものが現れるリニアな時間感覚を持たない。ところどころが抜き取られ、差し替えられ続ける。建築が更新されるたび、都市のインフラもわずかに更新されるが、隣の古い木造住宅に電気を送り続ける限り、幅員4m未満の二項道路がある限り、インフラ全体を同時にリセットすることは決定的に不可能なのだ。

*ユーティリティポール

 ところで、電柱はまだまだ面白い。電柱は多くのものを動かす潜在力をもつ。最上部には高圧線が走り、その直下に変圧器が架けられ、家庭へと引き込まれる低圧線が下位を規定する。さらにその下を、電力よりも低い地上高を這う通信ケーブルが共架され、異なる系統が一本のコンクリート円筒の上で縫合される。電気設備技術基準や道路占用基準の「高圧線からベランダは2m以上離す」「車道上の電線は5m以上、歩道上は2.5m以上の高さを確保する」といった厳格なルールが、むしろ都市のバッファーを生んでいる。電柱は驚くほど寛容だ。広告・サイン・防犯灯をまとうモジュール的境界装置であり、都市の輪郭をミクロにコントロールする、不可視のマスタープランだ。また、付属物以外にも、例えば警察が事件を操作する際、電柱に残った痕跡が大きな証拠となる。

 ひとたび電柱をプロットすると、東京には第二のグリッドが出現する。第一のグリッドである道路と街区に対し、ここで生まれる新たな街域は、絶対的な都市のグリッドに唯一対抗しうる。柱を一本立てるたび、建築とのあいだに応答関係が発生する。開口やバルコニー、軒先、建物配置を間接的に規定し、電柱は少しずつ、フィジカルな世界をも変えている。

 電柱をめぐる景観論争では、電柱は街の邪魔者とされるが、本当だろうか。異なる時間と要求を排除せず、矛盾したまま接続し続ける、その佇まいにはむしろ美しさを覚える。

 私たちは知らずのうちに、電柱と電信柱に架けられた門をくぐりながら生きている。大通りが都市の主要な目的を果たすならば、路地の生活の最初と最後を繋ぐ帰路である。都市の安寧にも、電柱は強烈なフィジカルさをもって立ち現れる。

*東京ポール

 これからの私たちに電柱を諦める余裕はない。むしろ、勿体無いくらい可能性に溢れている電柱を活かすべきである。私たちは密集した街区に残る二項道路の中心線上に、直径2.5m、高さ35mの「東京ポール」を挿入する。送電の効率をあげると同時に、電柱の差し替え速度を遅延させることで、電柱を維持する。部分発生的な電柱の差し替えは、都市を維持するだけでなく、配電網を更新する効率を上げる。用途は無限に近く、災害時には防災設備を集約するノードへと役割を変える。都市に式年遷宮を採用することは、終わることのない応急手当てとも言い換えられる。

 二項道路では、建築が建て替わるたびに道路境界がセットバックし、数十年をかけて幅員4mの道路へ近づいていく。それに対し、その変化の基準となる道路中心線は残り続ける。変わり続ける都市のなかで唯一動かないこの線は、確実に次の都市を担う可能性を秘めている。

 東京ポールによって同心円上に輪が広がると同時に、既存のグリッド状の街区とのあいだに余りのエッジが生まれる。街区の端に残された空地や建物間の隙間、行き止まり、三角形の余白といった、単独では建築にならなかった小さな空間がありありと繋がっていく。ある場所では線にカーテンが掛かり、ある場所ではベンチが憩いの場となる。また、このコラムパペット自体が、災害時の被害を防止することができる。電柱同士が繋がり、役割を失った柱は形骸化するのではなく新たな道となる。その下に電線を這わせることで、景観も損なうことはなくなる。
 東京ポールは、一本の柱を垂直に分節する。上部を電気や通信などのインフラ、中部を膜などの支持体、地上部を駐輪、掲示板、防災設備などの身体的な領域として使う。既存の電柱がすでに電力だけでなく通信、街路灯、交通信号、看板などを共架しているように、東京ポールは電柱がもつ共架の仕組みを建築のスケールまで拡張する。次第に、接続は既存の街区を横断し始める。佐竹商店街から住宅、町工場、空地、おかず横丁まで、土地所有とは異なる関係によって場所が結ばれ、身体の領域にまで迫る。私たちが提案するのは、インフラを交換するための恒久的なフレームワークによる、新たな都市の単位だ。

 新たな都市では、矢印が変わる。現在は大通りや主要な駅の周りで人々の生活が活発にされるが、私たちはその遠心力を反転させる。地域住民が密集する中心部に領域が定まることで、少しずつ大きな道が周縁へと追いやられていく。都市のダイナミクスは、ようやく身近な領域で複数化される。

*これからの私たちへ

 都市とあらゆる恒久的なものは相容れない。しかし、電柱を手放すこともまた簡単ではない。東京ポールは、止まったままの現在を動かす時計のような存在だ。それは同一のリズムではなく、止まったり、動いたりする針を備えている。或いはこれは、留まることを前提に動き続けるための装置である。

 一軒の木造住宅や町工場が集合住宅へ建て替わるとき、軒先で交わされた言葉や路地を横切る動線、隣家との隙間に置かれた植木鉢などのあらゆる関係が一度に切断される。何よりも、異なる時間感覚を生きているのは建築だけではない。それぞれ別の速度で街に留まり、去っていく。そこに住まう人々の多様な関係の接続にこそ、東京ポールが街区を架空する意義をもつ。新しい集合住宅はその地域から独立せず、異なる時間を東京ポールは包含する。それは新たな道が生まれることを意味する。

 無電柱化が都市から影を消していくのなら、私たちはその影を拾い上げる。邪魔で、不整然で、仮設的だった電柱の性質を欠陥ではなく都市を変化させ続ける能力として再定義する。整然としていないグリッドと、電柱という即興的で漸進的なシステムをそのまま都市の骨格として肯定することは決して不可能ではない。都市を一度に新しくするのではなく、新旧を同時に通電させる東京ポールは、不確定な未来に備える技術だ。未来が何度でも書き換わるための余白をここに残したい。電柱は邪魔者ではない。電柱は、未完成であり続ける都市の姿そのものだ。電柱は美しい。

文 青木未歩